2017年08月22日
佐賀市大和町梅野の「磨崖仏」(9)
先週(平成29年8月18日)の佐賀新聞(事件・社会:28面)に梅野の「磨崖仏」について「(佐賀)市教委などは保存する方針を固めた」との記事が掲載されていると教えてもらいました。記事は、「佐賀新聞 LIVE」に up されていましたのでそれで読むことができました。
「340年前の磨崖碑保存へ 佐賀市大和町」(2017/08/18)
http://www.saga-s.co.jp/news/saga/10101/455893
先週初めに、私用で通り掛かりましたが、「磨崖仏」の直ぐ上まで斜面が削られていました。「記録保存という「美名」で終わってしまうのか」と暗澹たる気持ちになりましたが、思いがけなく「嬉しい」内容でした。
「県内最大級の大きさであることや江戸時代に作られた文化財としての価値から判断」して、「現地保存か移設するかは引き続き検討する」とされ、市教委は「「その場所にあることに意味がある。できるだけ現地保存したい」との意向を示している」とのことでした。
最終的な「保存内容」はどうなるかわかりませんが、現時点の判断としては極めて妥当なものだと考えます。
この判断に至るまでの市教委、佐賀土木事務所の方々のご苦労を思うとともに、継続して取材されてきた岩本大志記者には敬意を表したいと思います。
さて、知り合いから「記事には理由まで書いて、やっぱい磨崖碑てしてあっばってん」との疑問で、確かに今回の記事でも「市教委は、ハスの花の上に仏の名前が刻まれていることなどから磨崖碑と判断した」と書かれています。私は、学芸員でも専門家でもないただの素人ですが、「磨崖仏」を紹介した最初に以下のように書きました。
「磨崖仏」と言っていますが、画像を見ると分かりますが仏の姿ではなく「南無大悲観世音菩薩」という「九字名号」が彫られています。ただし、上部には「光背(頭光)」、下部には「蓮華座」が配されています。つまり、「九字名号本尊」の形を呈しています。このため「磨崖仏」としています。頭上には三枚の板石が「庇」として設けられています。
確かに、「文字」が九字刻まれていますが、それは単なる文字ではなく「観世音菩薩」そのものを意味していることが分かります。
いずれにせよどのような「保存」となるのか、大いに関心を持ちつつ注視していきたいと思います。
「340年前の磨崖碑保存へ 佐賀市大和町」(2017/08/18)
http://www.saga-s.co.jp/news/saga/10101/455893
先週初めに、私用で通り掛かりましたが、「磨崖仏」の直ぐ上まで斜面が削られていました。「記録保存という「美名」で終わってしまうのか」と暗澹たる気持ちになりましたが、思いがけなく「嬉しい」内容でした。
「県内最大級の大きさであることや江戸時代に作られた文化財としての価値から判断」して、「現地保存か移設するかは引き続き検討する」とされ、市教委は「「その場所にあることに意味がある。できるだけ現地保存したい」との意向を示している」とのことでした。
最終的な「保存内容」はどうなるかわかりませんが、現時点の判断としては極めて妥当なものだと考えます。
この判断に至るまでの市教委、佐賀土木事務所の方々のご苦労を思うとともに、継続して取材されてきた岩本大志記者には敬意を表したいと思います。
さて、知り合いから「記事には理由まで書いて、やっぱい磨崖碑てしてあっばってん」との疑問で、確かに今回の記事でも「市教委は、ハスの花の上に仏の名前が刻まれていることなどから磨崖碑と判断した」と書かれています。私は、学芸員でも専門家でもないただの素人ですが、「磨崖仏」を紹介した最初に以下のように書きました。
「磨崖仏」と言っていますが、画像を見ると分かりますが仏の姿ではなく「南無大悲観世音菩薩」という「九字名号」が彫られています。ただし、上部には「光背(頭光)」、下部には「蓮華座」が配されています。つまり、「九字名号本尊」の形を呈しています。このため「磨崖仏」としています。頭上には三枚の板石が「庇」として設けられています。
確かに、「文字」が九字刻まれていますが、それは単なる文字ではなく「観世音菩薩」そのものを意味していることが分かります。
いずれにせよどのような「保存」となるのか、大いに関心を持ちつつ注視していきたいと思います。
Posted by jirou at 12:00 | Comments(0) | 梅野の「磨崖仏」
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