2019年02月22日

「平戸道」(伊万里~今福)を歩く(3)

 「平戸道」にコメントをいただきました。

 おいも昔伊万里で仕事ばしたことのあっばってん、そん時に昔の平戸に行く道は伊万里の町から西さい行たて東山代の脇野あたいば抜けていっとったて聞いたごとのあっばってん、あさんの書いたとば読むぎ海沿いば通ぉーいよったごとなっばってんほんなごてや。

 今回のブログでは歩いたルートと途中撮影した画像を紹介しただけで、細かい説明を端折っていたのでそうかも知れませんね。
 参加者には「地図編」と「解説編」の資料をいただきましたが、指摘していただいた東山代町の脇野地区を通るルートについては「地図編」には脇野地区を経由するルートが書き込まれて「山代道」との注記があり、「資料編」には次のように説明がありました。ちょっと長いですけど紹介します。

 旧有田郷から山代、平戸方面へは大里村で有田道と分岐した道が八幡宮の前を通り、禅門びゃぁとから登りの道となり、旧山代郷・脇野に入る。この道を地元では「山代道」と呼び、古くから利用された道である。藩政時代、「平戸道」として平戸への往来も行われたが、時代が下って海岸線に新田開発が進むと「平戸道」の経路も次第に海岸線の方ヘ変わっている。この脇野地区の山代道沿いの一番高いところを「大王峠」と呼ぶが、昔、大王様という石祠を祀っていた所から名づけられたと伝えられている。

 ということで、脇野地区を経由するルートから時代を下るに従い海岸線の方にルートが変わったということのようです。
 ただ、少し気になりましたのでネットで公開されている江戸時代の国絵図を幾つか見てみると確かに「平戸道」は脇野地区を通るルートです。どうも海岸線沿いのルートではないようです。
 興味がある方は、例えば、江戸時代の天保期に作られた肥前の国絵図で確認してきてください。

 「肥前国 天保国絵図」(国立公文書館)
 https://www.digital.archives.go.jp/DAS/pickup/view/viewer/viewerArchives/0000000315

 なお、ここで出てきた脇野地区の自然と歴史を楽しむイベントが来月、3月17日(日)開催されるそうです。イベントの内容は以下の記事をお読みください。

 「脇野地区の自然史跡を楽しもう 来月17日に体験会」
 (佐賀新聞LiVE 平成31年2月19日)
 https://www.saga-s.co.jp/articles/-/339370

 20190210
 川東橋から見た腰岳


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Posted by jirou at 12:00 | Comments(0) | 研究会・巡見等
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