2017年08月15日

火の玉物語(2)

 「火の玉」についての2回目です。
 現在の佐賀城として改修・拡張される村中城の南東に位置していた水ヶ江城に隣接する円蔵院に現れた「火の玉」についてのエピソードです。何とも「荒ぶる」怪火ですが、この頃の「火の玉」が持つ性格なのでしょうか。 

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 その二
 円蔵院〔佐賀市中の館町〕は天文十四年(1545)正月、川上〔佐賀市大和町川上〕と祇園原〔神埼市神埼町尾崎〕で、馬場頼周に欺し討たれた龍造寺家純、周家、純家、頼純の菩提を弔うため、周家の未亡人慶誾尼が建立した寺で、城南、市民グランド付近にある。
 天文十六年(1547)夏の初め。この円蔵院にある豪覚法印の墓から怪しい火の玉が燃え上って、お城の上を飛び回り、お城には不祥事が続発した。百方手をつくしても効がない。そこで八戸の龍雲寺〔佐賀市八戸1丁目〕の大用和尚が乗り出して、卵塔の上の怪火を見つめながら、
 「種々の幻花は覚心より出ず。即今幻尽き覚尽きる時之何。代って言ふ、薪尽きれば火滅す」
と厳かに引導を渡した。これをわかり易く言いかえると、元来この豪覚法印は家純の二男。周家、純家、頼純とは兄弟なので、龍造寺家の前途について、おだやかならぬところがあったであろうが、周家の子隆信が家督を相続したからは、そう火のように怒らんでも良かろうが-と言ったものらしい。
 朗々たる引導の声に応じて怪火は杖の如く天に冲した。
 大用和尚は励声一番、
 「杖もまた無用」と大喝した。
 すると不思議や火は消えて、城中の不祥事もなくなった。

   『新佐賀夜話』(後藤道雄編 「新佐賀夜話」編纂会 1954:48-50頁)
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 円蔵院


 龍雲寺





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Posted by jirou at 12:00 | Comments(0) | 不思議な話
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