2017年01月31日

下田の石神の「発見」(2)

 「発見」記事の五日後、同じ佐賀新聞に肥前史談会久保大来氏による「松梅村の石神群に就て」が掲載されます。 
 その内容は、「石神群が発見されたことに就て聊か卑見を述べ世の識者の御教示を仰ぎたい」とするように石神一般について述べ、下田の石神について「巨石文化の貴重な遺蹟」という評価を下しています。
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 松梅村の石神群に就て
    肥前史談会 久保大来

 佐賀郡松梅〔まつうめ〕村字下田の山中に於て巨石文化を語る三千年前の石神〔せきしん〕群が発見されたことに就て聊か卑見を述べ世の識者の御教示を仰ぎたいと思ふ。肥前風土記には「此川上有石神名曰世田姫海神云々」と記したが下田の石神は正に此の記事を立証するもので考古学上の一大収穫であり又佐賀県としても実に大なる誇りであらねばならぬ。
  風土記の編纂年代に就ては種々説があるやうであるが奈良朝元明天皇和銅六年五月甲子の制に「畿内七道諸国郡郷名著好字其郡内所生 銀銅彩色草木禽獣魚虫等物具録色目 及土地沃塉 山川原野名号所由又古老相伝旧聞異事 載于史籍言上」とあるに徴すれば即ち奈良朝時代と見るのが先づ至当であらう。
 其の奈良朝時代は今から千二百数十年前に属し、風土記の記事の多くは動もすれば一概に口碑伝説として取扱はるゝ傾があるのであるが、それが今目前に事実として現はれ来つたのは何人も驚異の眼をみはる所であり、史学会に一大センセーションを惹起するに至るべく何れにしても近来の大問題である。
 而して此の石神に関しては古来専門学者間にも種々意見があり未だ定説としても聞かないやうであるが茲に其の大体の意見を綜合すれば石神なるものは奇石、霊石、石棒、石剣の類を神体として祀る神の名称であって、音読してシャクジンと云ひ、それが転訛してシャクジ、サクジ、サゴシ等と称してゐる。
 其の石を神として崇拝した最も古き例は神代に伊邪那岐命の黄泉比良坂に塞りし石を道反大神と号し其の時携へた杖を投じて之を岐神と名つけられたのが初めであるそうで、普通俗間にて石神と称するは路傍巷間に祀り或は山間辺境にも少なくない。其の信仰は良縁安産及び子育等に霊験ありとして祈願するやうである
 又石神のシャクジンは塞神の字音より来たそうで本体は岐の神又は道反の神に起因し塞のサクは塞障の義或は辺境境界の意にして本来サヘの発音より転してサヒとなり更にサキともサクとも転訛し遂にシャギとなったもので所謂道祖神にも関係を有してゐる。
 道祖神と云へば造化神として世人に崇敬せらるること既に周知の事であるが、我が下田の山中に於ける石神の中には男岩女岩と云つて陰陽の巨石が立てゐると云ふのは即ち古代民族の信仰を立証するものであつて敢て珍らしいことではない。又石神に関して記述した文書中一二を左に録せば、
 擁画漫筆 石神は道神の神体にて今も坂東の国々に円石を祭ることあり。武蔵豊島郡の石神井、足立郡の石神などいへる村名も之におこれるなるべし。
 雲根志 洛大宮通の西上立売の北に石神の社あり、祭る所岩なり。此の神体の岩昔堀川の西二条の南にあり、中頃禁裏の築山に移さる。或時奇怪なるを以て禁闕の外に出さしむ。然して年あり、其後今の地に移し、社に封じて石上大明神と崇め奉る。
 倭訓栞 出雲風土記に石神と見ゆ。尾張にては猿田彦神を云ひて石神といふ。仁明紀に陸奥国玉造温泉石神式、常陸国鹿島郡大洗磯前社の事文徳実録に委しく見えたり。又能登国羽咋郡大穴持像石神社、又伊勢国鈴鹿郡の石神神社此の石神神社を今しやく大神といふ。小社村の山にある高さ百丈余の奇厳なり。
などあり。
 其中にて伊勢の石神の如きは高さ百丈余と云へば随分大きなものであるが、下田の石神に至りてはそれ等に比して遙に優り而かも数に於ては十余個を算し、又大さに於ても長さ十間乃至十五間、或は広さ五十畳敷に亘るものあるは実に驚嘆の外ない。
 何れにしても斯の如きは全国は勿論世界的にも珍らしいローマンチツク的な石神群であって、巨石文化の貴重な遺蹟であると共に県下の大なる誇りであることを云ふ迄もない。左れば県に於ても之に対し適当の方法を講すること素より当然であらねばならぬ。
         「佐賀新聞」(昭和10年(1935)1月24日(木)朝刊:2頁)
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Posted by jirou at 12:00 | Comments(0) | 下田石神
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