2017年07月07日

下田の石神の「発見」(9) 「肥前史談」より(1)

 昭和10年(1935)1月に始まった地元佐賀新聞紙上における紹介記事を契機に下田の石神群に対する関心が高まる中で石神の巡拝者が増加し、記事が掲載された2ヶ月後の3月には千人/日を越えることもあったようです。
 その熱気の中で、昭和10年(1935)3月、佐賀の名士である福田慶四郎氏を会長とする下田遺蹟保存会が結成されました。

 これまでブログで紹介した佐賀新聞の記事
 「学界の驚異! 巨石文化の一大遺蹟を発見 松梅村下田の石神群」
 http://tamayura.sagafan.jp/e835765.html

 「松梅村の石神群に就て」
 http://tamayura.sagafan.jp/e835896.html

 「佐賀有志記者団の下田石神群踏査」
 http://tamayura.sagafan.jp/e836164.html

 「石神群踏査」「松梅村の石神群 保存会で紹介」
 http://tamayura.sagafan.jp/e836166.html

 「巨石文化の一大遺跡 石神の研究【一】」
 http://tamayura.sagafan.jp/e841602.html

 「巨石文化の一大遺跡 石神の研究【二】」
 http://tamayura.sagafan.jp/e841608.html

 「巨石文化の一大遺跡 石神の研究【三】」
 http://tamayura.sagafan.jp/e841610.html

 「下田遺跡保存会成る」
 http://tamayura.sagafan.jp/e842693.html

 そのような中、佐賀新聞(昭和10年1月24日)に「松梅村の石神群に就て」を寄稿した肥前史談会久保大来氏による「巨石文化の大遺跡」(1)~(3)が肥前史談会の機関誌「肥前史談」第8巻第2~4号に連載されました。
 これから3回に分けて「巨石文化の大遺跡」をこのブログで紹介させていただきます。これをお読みいただければ、今から72年前になる昭和10年(1935)当時の下田の石神群に関して何が論議されていたのかがよく分かります。また、「巨石文化の大遺跡」(2)には石神群の分布図も掲載されていますので現在の石神群を理解する上でも貴重です。
 このブログを始めた目的の一つに佐賀新聞と肥前史談の紹介がありましたのでちょっと肩の荷が下りました。

 「巨石文化の大遺跡」を紹介する前に、老婆心ながら2点補足しておきます。
・当時の石神群への進入路は、新清水寺の北側を回り込んで向かうコースであり、江戸時代の絵図にも描かれているコースを利用しています。現在の「肥前大和巨石パーク」の進入路はあくまでも「観光施設」として近年造成されたものです。
・所在地については「家石山中腹にあるのが即ち本体の石神」と書かれていますが、家石山は下田よりも北に位置する峯でありここで言及している巨石=石神が位置する場所とはずれています。ただし、家石山にも巨石や大石は点在しています。

巨石パークの空
 巨石パークの空


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Posted by jirou at 12:00 | Comments(0) | 下田石神
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