2017年02月03日
下田の石神の「発見」(3)
「発見」記事の八日後、「佐賀有志記者団」と肥前史談会の十一名にカメラマン一名も同道して「下田の石神群」を踏査し、その結果をレポートしています。
このレポートの中には、巨石の名称や地名が数多く出てきますが、現在「肥前大和巨石パーク」として整備された探訪コース(登山道)にある巨石以外の名前がいくつか出てきます。
なお、踏査したコースは江戸時代の絵図にも描かれた山道であり、下田の清水寺(真言宗醍醐派)北側を経由して巨石=石神に向かったようです。
参考までに、現在の「肥前大和巨石パーク」で探訪できる巨石は以下の17ヶ所です。(番号・名称は巨石パーク管理棟で配布されている案内図「巨石群探訪コース」による)
1 神頭石(ジトウセキ) 2 道祖神石(サヤノカミイシ) 3 御舟石(ミフネイシ) 4 兜石(カブトイシ) 5 龍の石(リュウノイシ) 6 造化大明神(ゾウカダイミョウジン) 7 イナリ石(イナリイシ) 8 誕生石(タンジョウセキ) 9 屏風石(ビョウブイシ) 10 烏帽子石(エボシイシ) 11 御座石(ゴザイシ) 12 天神石(テンジンイシ) 13 雄神石(オガミイシ) 14 天の岩門(アマノイワト) 15 神護石(コウゴイシ) 16 蛙石(カエルイシ) 17 たもと石(タモトイシ)
記事と比べてみると、神戸石、相愛石等も「巨石群探訪コース」にありませんので今後検討する必要があります。天神石(案内図「巨石群探訪コース」の天神石とは異なるような気がします)、山法師石、櫓石、旗立石は「巨石群探訪コース」外になるようですが機会があれば訪れてみようと思います。
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佐賀有志記者団の下田石神群踏査
…巨石文化の一大遺蹟…
…荘厳雄大なる神秘境…
一大名所の新発見
佐賀郡松梅村字下田山の石神群は十年前、野口社長及び蒲原夢涯氏等は其後不断の研究努力を続けつゝありたる結果、最近に至り全山所々に石神群あること発見され、三千年前古代民族巨石文化の一大遺蹟として考古学上驚異の的となり、大きな衝動を与へて居るが、
佐賀有志記者団及び肥前史談会では二十七日の日曜を卜し、実地踏査の上詳細之が研究を行つた。
一行は島崎佐毎主幹、古川大毎支局長、牧瀬肥前日々主筆、江島唐日支局長、古賀九州日々、熊谷福日の両記者、大野佐賀新聞副社長、毛利善六、蒲原夢涯、肥前史談会の久保大来、大須賀佐賀師範教諭、写真師木下忠次の十二氏にして同日午前十時佐賀県庁前出発。
一同自動車を連ねて川上街道を北上し、同十時四十分、山紫水明の別天地、肥前嵐峡の称ある川上峡渡月橋より一丁先の東側松梅村下田新清水門前に於て下車。同寺に於て小憩の後、元住職藤原密道師、下田区長藤田伝吉、村会議員納富増太郎、村有志市丸兵吉、坂口幸一、岡本弥太夫諸氏多数の出迎を受け、これ等の案内にて造化谷より先づ下田山に登攀。
神戸石、道祖神石、神頭石、御船石、龍ノ石、兜石等偉大なる石神〔せきしん〕に驚異の眼を放ちつゝ一々之を巡拝して肥前風土記に称する石神即ち川上神社の上宮として明治の中頃迄毎年十一月二十日祭典を執行し来れる造化大明神に至り、之をカメラに収めた。
造化大明神は男神石、女神石より成り、一見屋根の形をなし、其下は岩窟にして人の通行が自由である。其男神石の西面は恰も削れる砥の如く八間四方あり、南面の高さは十二間、東西の長さは十五間余に達し、彦火々出見尊及其妃世田姫尊を祀るとの伝説あるが其雄大さは全く驚嘆に値する。造化大明神より上は急坂にかゝり、次々に相愛石、稲荷大明神、御座石など何れも巨大なる石神あり。
下田山の絶頂近く標高三百米のところには烏帽子石と称する石神あり。男神石は恰も烏帽子の形をなしたるに依り名づけたるものにして、その頂上に立てば川上の清流は脚下を洗ひ、対岸六段原の翠巒は呼べば応へん風情あり。南方筑紫の平原は緑樹相望みて渺茫際涯なく遙かに多良、雲仙の遠山を眺め、風光の絶佳なる得も言はれぬ。
烏帽子石より東造化谷に下り、神水川の清水に渇を医し、再び急坂を上りて蛙石、天の岩戸、雄神石、神籠石等の石神群を見る。此処は奥の院と称する神所にして、その巨石の雄大となるさまは造化大明神の比にあらず。此等が総て古代民族の築造に係り、造化崇拝の神したることを思へば全くその神秘と荘厳に打たれ、一同感嘆の声を放つたのであつた。
この外、下田山絶頂の天神石、名尾越の山法師石、櫓石、大梅山の旗立石等多くの石神群あるが路険にして行く能はず、神籠石にて一先づ巡拝を終り、こゝにて写真師木下忠次氏の好意に依り記念撮影の上、一同山を下り帰途に就いたが、この一日の石神群踏査は記者団の近来になき収穫であつた。因に此石神群は曩に本社記者蒲原夢涯氏及び地元村民有志より史蹟調査保存方を申請したので、古川知事は今回内務省に向け更に史蹟調査委員派遣方を申請したが、この石神群の研究は考古学上幾多の好資料を齎らすと共に佐賀県の一大名所となるであらう。
「佐賀新聞」(昭和10年(1935)1月29日(火)朝刊:2頁)
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この中に稲荷大明神が出てきますが、「巨石群探訪コース」の「9 屏風石」のことです。これは屏風石に稲荷大明神を勧請していたためです。稲荷大明神=屏風石についてはまた別に紹介したいと思います。

肥前大和巨石パーク案内図(駐車場)
このレポートの中には、巨石の名称や地名が数多く出てきますが、現在「肥前大和巨石パーク」として整備された探訪コース(登山道)にある巨石以外の名前がいくつか出てきます。
なお、踏査したコースは江戸時代の絵図にも描かれた山道であり、下田の清水寺(真言宗醍醐派)北側を経由して巨石=石神に向かったようです。
参考までに、現在の「肥前大和巨石パーク」で探訪できる巨石は以下の17ヶ所です。(番号・名称は巨石パーク管理棟で配布されている案内図「巨石群探訪コース」による)
1 神頭石(ジトウセキ) 2 道祖神石(サヤノカミイシ) 3 御舟石(ミフネイシ) 4 兜石(カブトイシ) 5 龍の石(リュウノイシ) 6 造化大明神(ゾウカダイミョウジン) 7 イナリ石(イナリイシ) 8 誕生石(タンジョウセキ) 9 屏風石(ビョウブイシ) 10 烏帽子石(エボシイシ) 11 御座石(ゴザイシ) 12 天神石(テンジンイシ) 13 雄神石(オガミイシ) 14 天の岩門(アマノイワト) 15 神護石(コウゴイシ) 16 蛙石(カエルイシ) 17 たもと石(タモトイシ)
記事と比べてみると、神戸石、相愛石等も「巨石群探訪コース」にありませんので今後検討する必要があります。天神石(案内図「巨石群探訪コース」の天神石とは異なるような気がします)、山法師石、櫓石、旗立石は「巨石群探訪コース」外になるようですが機会があれば訪れてみようと思います。
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佐賀有志記者団の下田石神群踏査
…巨石文化の一大遺蹟…
…荘厳雄大なる神秘境…
一大名所の新発見
佐賀郡松梅村字下田山の石神群は十年前、野口社長及び蒲原夢涯氏等は其後不断の研究努力を続けつゝありたる結果、最近に至り全山所々に石神群あること発見され、三千年前古代民族巨石文化の一大遺蹟として考古学上驚異の的となり、大きな衝動を与へて居るが、
佐賀有志記者団及び肥前史談会では二十七日の日曜を卜し、実地踏査の上詳細之が研究を行つた。
一行は島崎佐毎主幹、古川大毎支局長、牧瀬肥前日々主筆、江島唐日支局長、古賀九州日々、熊谷福日の両記者、大野佐賀新聞副社長、毛利善六、蒲原夢涯、肥前史談会の久保大来、大須賀佐賀師範教諭、写真師木下忠次の十二氏にして同日午前十時佐賀県庁前出発。
一同自動車を連ねて川上街道を北上し、同十時四十分、山紫水明の別天地、肥前嵐峡の称ある川上峡渡月橋より一丁先の東側松梅村下田新清水門前に於て下車。同寺に於て小憩の後、元住職藤原密道師、下田区長藤田伝吉、村会議員納富増太郎、村有志市丸兵吉、坂口幸一、岡本弥太夫諸氏多数の出迎を受け、これ等の案内にて造化谷より先づ下田山に登攀。
神戸石、道祖神石、神頭石、御船石、龍ノ石、兜石等偉大なる石神〔せきしん〕に驚異の眼を放ちつゝ一々之を巡拝して肥前風土記に称する石神即ち川上神社の上宮として明治の中頃迄毎年十一月二十日祭典を執行し来れる造化大明神に至り、之をカメラに収めた。
造化大明神は男神石、女神石より成り、一見屋根の形をなし、其下は岩窟にして人の通行が自由である。其男神石の西面は恰も削れる砥の如く八間四方あり、南面の高さは十二間、東西の長さは十五間余に達し、彦火々出見尊及其妃世田姫尊を祀るとの伝説あるが其雄大さは全く驚嘆に値する。造化大明神より上は急坂にかゝり、次々に相愛石、稲荷大明神、御座石など何れも巨大なる石神あり。
下田山の絶頂近く標高三百米のところには烏帽子石と称する石神あり。男神石は恰も烏帽子の形をなしたるに依り名づけたるものにして、その頂上に立てば川上の清流は脚下を洗ひ、対岸六段原の翠巒は呼べば応へん風情あり。南方筑紫の平原は緑樹相望みて渺茫際涯なく遙かに多良、雲仙の遠山を眺め、風光の絶佳なる得も言はれぬ。
烏帽子石より東造化谷に下り、神水川の清水に渇を医し、再び急坂を上りて蛙石、天の岩戸、雄神石、神籠石等の石神群を見る。此処は奥の院と称する神所にして、その巨石の雄大となるさまは造化大明神の比にあらず。此等が総て古代民族の築造に係り、造化崇拝の神したることを思へば全くその神秘と荘厳に打たれ、一同感嘆の声を放つたのであつた。
この外、下田山絶頂の天神石、名尾越の山法師石、櫓石、大梅山の旗立石等多くの石神群あるが路険にして行く能はず、神籠石にて一先づ巡拝を終り、こゝにて写真師木下忠次氏の好意に依り記念撮影の上、一同山を下り帰途に就いたが、この一日の石神群踏査は記者団の近来になき収穫であつた。因に此石神群は曩に本社記者蒲原夢涯氏及び地元村民有志より史蹟調査保存方を申請したので、古川知事は今回内務省に向け更に史蹟調査委員派遣方を申請したが、この石神群の研究は考古学上幾多の好資料を齎らすと共に佐賀県の一大名所となるであらう。
「佐賀新聞」(昭和10年(1935)1月29日(火)朝刊:2頁)
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この中に稲荷大明神が出てきますが、「巨石群探訪コース」の「9 屏風石」のことです。これは屏風石に稲荷大明神を勧請していたためです。稲荷大明神=屏風石についてはまた別に紹介したいと思います。
肥前大和巨石パーク案内図(駐車場)
Posted by jirou at 12:00 | Comments(0) | 下田石神
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