2017年03月14日

下田の石神の「発見」(5)

 ここまで、佐賀新聞誌上に掲載された「下田の石神の「発見」」についての記事を紹介しましたが、昭和10年(1935)2月になり蒲原蒲原夢涯記者による「石神の研究」が三回に亘って佐賀新聞紙上に連載されることになりました。
 まずは蒲原記者の考察をじっくりとお読みください。巨石の成り立ちは「此等の石神が何れも天然の巌窟にあらず、総て人工を以て築造された」ものという見解です。
 また、石神にはすべて「しゃくしん」とルビがふられています。
 なお、神戸石旗石という「巨石群探訪コース」にない「石神」がでてきますが、「山中数十ヶ所に大小石神の存在せるを見る」とあるように、無名の「石神」が多数存在しています。
 稲荷大明神は「巨石群探訪コース」の「9 屏風石」のことです。これは屏風石に稲荷大明神を勧請していたためです。
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 巨石文化の一大遺跡
   石神の研究【一】
     肥前風土記にも書載

 蒲原夢涯

 佐賀市を北に距る二里余、山紫水明の別天地、肥前嵐峡の称ある川上川の東岸佐賀郡松梅村下田の山中に於て今回発見せられたる幾多の石神群は少くとも三千年以前の巨石文化を物語る一大遺跡として考古学界其他各方面に多大の衝動を与へて居る。
 現在発見せられたるものは、肥前風土記に称する石神【造化大明神】のほか、道祖神石、神戸石、神頭石、御船石、龍ノ石、兜石、誕生石、稲荷大明神、御座石、烏帽子石、蛙石、山神石、天ノ岩戸、雄神石、神籠石、旗石等であるが、この他にも山中数十ヶ所に大小石神の存在せるを見る
 而して此石神〔しゃくしん〕は恐らく古代民族が造化神として崇敬したもので、総て雄神石、雌神石より成り、一枚石を或は積重ね或は抱合はせ、其状恰も家の如く下部は通行自由なる洞窟をなし、神籠石の雄神石は幅五間四方五十畳敷、厚さ二間程あり、また、天ノ岩戸、烏帽子石、蛙石等の雄神石は、厚さ三間乃至十五間円錐状にして長さ十間乃至十五間に及ぶもの少なからず。
 その偉容壮観全く感嘆の外ない。而かも此等の石神が何れも天然の巌窟にあらず、総て人工を以て築造されたことを思へば我国古代の巨石文化は実に世界に誇り得るものであらう。然らばこの石神とは果して何物であらうか。
 先ず、文献の存ずるものにつき之を調べて見やう。肥前風土記は今を去る千二百二十余年前、和銅年間に勧進された日本で古事記と共に一番古い記録である。地名の起源や口碑伝記などを載せてあるが、佐嘉郡佐嘉川云々の条に、
 此川上川に石神あり、名づけて世田姫海神といふ、年ごとに鰐魚流れに逆て潜上しこの神所に到る、海底小魚多々ありて相従ふ、或人其魚を畏るるものは殃なく、或人捕食するものは死あり、凡そ此魚二三日を経て還て海に入る
 とある。これに依て之を見れば千二百二十余年前勧進時代既に佐嘉川【今日の川上川】の川上に石神あり、世田姫海神を祀つてゐたことが判るのである。
 *蛙石の写真掲載
      「佐賀新聞」(昭和10年(1935)3月1日(金)朝刊:2頁)
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稲荷大明神(屏風石)
稲荷大明神(屏風石)
 稲荷大明神(屏風石)


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Posted by jirou at 12:00 | Comments(0) | 下田石神
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