2017年03月21日

下田の石神の「発見」(7)

 佐賀新聞社蒲原夢涯記者による「石神の研究」の三回目(最終回)です。
肥前風土記に記載された「石神」は造化大明神のみを指すが、下田の「高天原」を中心に点在する巨石全てが石神であると述べている。さらに、その築造された時期を新石器時代と比定しています。
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 巨石文化の一大遺跡
   石神の研究【三】
     肥前風土記にも書載

  蒲原夢涯

 以上述べたる通り、肥前風土記に載するところの石神〔しゃくしん〕は、今日の所謂造化大明神、即ち明治二十年頃迄河上神社の上宮としに、造化祭を執行して来たもののみを指すやうである。然るにこの石神は独り造化大明神のみならず、烏帽子石、蛙石、天ノ岩戸等これ以上のもの少なからず、全山悉く石神ならざるはなしに至りては全く驚嘆するの外なく、今少しく研究の歩を進めなければならぬ。
 さて、この石神が自然的地球の形成に依つたものでなく、我等人類の祖先が智と力に依て築上げたるものなることは実物其ものが既に証明してゐるがこれは有史以前何時頃のものであらうか。少くとも三、四千年以前新石器時代の半頃からではあるまいかと思はれる
 旧石器時代は地質学上洪積時代に属し、人類は自然の洞窟内に居住し、人死ぬれば遺骸を其儘洞窟内に葬る習慣であつた。然るに人智漸く進みて新石器時代に入り、巨岩を以てメンヒル、ドルメン、ストンサークルなどの巨岩の築造をなすに至つたもので下田山の石神群も この時代ものであらう。
 果して然らば下田山の石神群にその何れに属するか。神集島や今山、大願寺等にある如きドルメンでもなく、高良山、雷山等のストンサークルとも違ふ、メンヒルの一種と思はるるも決して一本の立石といふものではない。総て意味深長なる雄石雌石より成り、古代の民族が人類繁殖の為造化の諸神を祀れることは想像に難からぬ。
 近来学者の研究に依り、この石神は独り我国のみならず世界各国に於ても所々に発見せられてゐるが、発表された文献に徴するもこの下田山の如き雄大荘厳にして然かも全山悉く然りといふ如き多数存在するを聞かぬ。人類最初の発祥地と称せらる中央亜細亜より如何なる経路を辿つて世界に邇漫せるか、石神の比較研究も我等祖先の発祥を知るに最も必要なることである。
 兎に角、下田の石神群を拝しては我等祖先の信仰力と創造力の偉大さに絶賛の声を放たざるを得ぬが、現在伝説にある海神国、高天原、造化山、天ノ岩戸等とも併せ研究すれば神秘の扉は自ら開かれむか。(完)
 *山中第一の神秘境烏帽子石の写真掲載
     「佐賀新聞」(昭和10年(1935)3月3日(日)朝刊:2頁)
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造化大明神(南東から)
造化大明神(北から)
 造化大明神


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Posted by jirou at 12:00 | Comments(0) | 下田石神
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