2017年05月16日

佐賀市鍋島町蛎久の寺院跡について(1)

 平成29年2月10日(金)のブログで「佐賀市鍋島町蛎久に所在した満性院のこと」というタイトルで明治初期まで存在した満性院について紹介したことがありました。

 「佐賀市鍋島町蛎久に所在した満性院のこと」
 http://tamayura.sagafan.jp/e837447.html

 紹介した翌3月末に満性院跡の近くを通りかかったところ、蛎久天満宮の北方、コカゲ美容室さんの南西側の鬱蒼とした竹林が伐採されていました。
 何だろうと思い、車から降りて見たところ多数の墓石がありました。「野墓」のようには見えませんので寺院跡かなと思ってその状況を写真に納めておきました。ざっと数えて20~30基はありそうで、いくつかの銘文も確認できました。

伐採の状況
伐採の状況
 伐採の状況

墓石の状況
 墓石の状況

 さて、この墓地はどのお寺の跡地なのか気になりましたので少し調べて見ました。
 藩政期の「蛎久(蠣久)村」には、「寺社差出」によれば、十個所ほどの寺院があったようです。寺院名のみ紹介すると、天徳寺、広大寺、崇福寺、栖龍院、利貞寺、地蔵院、光福寺、宝蔵寺(以上、臨済宗)、満性院(真言宗)、妙月院(浄土宗)となります。最初の天徳寺と広大寺は、蛎久村西側の「津留村」との資料もありますのでちょっと保しておきます。
 栖龍院と光福寺は蛎久の集落南西に現存しますのでこれは除外しておきます。
 地名(しこ名)から、満性院は集落の北東に、宝蔵寺は集落西に比定できます。
 さらに集落の北西に「ジゾウガク」という地名(しこ名)が残っていますので地蔵院の可能性があります。
 そうすると残るのは、崇福寺、利貞寺、妙月院の三つということになります。
 集落をぐるりと廻った限りでは、この墓地以外に集落西側の御堂が残った墓地集落南側の墓地が確認できました。
 ちょうど数が合いますので、可能性として、この墓地は崇福寺、利貞寺、妙月院の何れかと言うことになりそうです。
 具体的なお寺には辿り着きませんでしたがもう少し経過を見てみたいと思います。



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Posted by jirou at 12:00 | Comments(0) | 遺跡・史跡
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